社長の紹介
終戦9年後の昭和29年に東京に生まれる。
実家にはいつも職人が出入りしていて、小学生高学年では
出入りの大工に柱を仕上げる、鉋掛けを習う、
外壁の貫きを釘で、打ちつけるなど、遊び代わりに大工の仕事を手伝う事が好きでした。
中卒で大工に成る事を父に反対され、進学しましたが、高校在籍中に家庭が崩壊、一家離散、何とか高卒で設計会社に就職しました。
就職し2年目でオイルショックで給料が出なくなり会社員に失望し、職人の世界へ飛び込みました。(大工の棟梁には,今からでは、遅いと断られ)
親戚筋の経師屋に職人として5年間修行して、内装業の会社を25歳で設立、
バブル期へ向かい、右肩上がりに業積が良くなりました。
お金の余裕もでき、雄祐自適にスキーやテニスなど趣味を始めることが出来る様に成り、
31歳の時、重い床材を持った事で、腰椎を2箇所損傷、椎間板ヘルニヤと診断、医者に完治しないと宣告せれてしまいました、
34歳で結婚、36歳で3600万のローンを組み、家を持つことが出来、女の子、男の子、女の子が3人の子宝に恵まれました。
職人としては動けなくなりましたが、内装業者としてハウスメーカーの下請けを、10年間
継続しました、やがてバブル期が終わり、工事単価が減少、それからの5年間で1200万円の赤字になり、このまま下請け業を継続すると、倒産しかないと言う事実を感じました。
(下請けをしている時に、感じたことは、ハウスメーカーの社員は、建築の専門家では無く、サラリーマンなのです、建築の勉強をしたことが無く、就職した会社がハウスメカーだったと言う人たちです。)
少しずつ下請け業を止めて、リフォーム業に移行してゆきましたが、そのままだと
ハウスメーカの社員と同じレベルだと思い、
45歳で建築の学校へ行き、建築を学び、50歳で2級建築士の資格を取りました。
お客様に、専門知識でお話が出来、耐震などのアドバイスなどが出来るようになり仕事が楽しく、現場作業と営業の両立を目指して現在に至っています。
最後に、51歳で椎間板ヘルニヤが治る(長年苦しんでいた腰の痛みが、朝1時間30分のウオーキングを2ヶ月間続ける事で完治しました)